常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

Othelloの英文和訳

先日,学部生の後輩から,普段どのように英語の勉強をしているのか,と聞かれました。これ!と言えるものは,古巣の先輩がお勧めしてくださった「英文和訳」「和文英訳」でしょう。これは学部4年の頃からコツコツやっています。今回は,そんな大それたことではありませんが,「英文和訳」に焦点を絞って,普段どんな風に行っているのかを述べ,最後に朱を入れる前の一例を掲載致します。

まず,どこに力点を置いているかについてです。大学院のある授業では,シェイクスピアの作品の精読をして英文和訳をし,詩法,劇作術を吟味し,作品を劇としてどのように解釈をするのか,というものがあります。こちらは歴史,たくさんの批評,劇作術を踏まえて,劇的な意味合いに重点に置いています。一方,自分の勉強としてやっている「英文和訳」では,課題の精読をして和文英訳から翻訳という風にきれいな日本語で書くことに重点に置いています。

そして,私は,大修館の『英語教育』と研究社の『英語青年』を中心に扱っています。バックナンバーを図書館で探して,尊敬する先生や目標にしている先生が担当する時期のものをコピーし,自前のノートで作業をしていくという方式です。時には,先生方から「こんなことは調べればすぐにわかる」,「日本語が流れている」,「KISSできていないドロドロ英文」などの意見を頂きます。そのたびに「まだまだだ」と,朱を入れて訳し直します。今では滅多にお目にかかれない先生のご意見などを頂けますし,他の人の訳も読めるので,この『英語青年』と『英語教育』がほとんどです。

次にどのようなプロセスで行っているのかを,少しお話したいと思います。私は2日かけて作業をしています。一日目は精読をして大まかに最後まで訳します。2日目は,もう一度原文を読んで自分の訳をチェックしていきます。そして,最後に講評を確認して間違いを直します。これを一日でやると,どうしても面倒くさくなる。どういう訳だか,2日に分けた方が,前の日にできなかった文や文章がわかるようになっている場合が多いように思えます。思考を寝かせることは大切です。毎日やっているわけではありませんが,続けていくと,このブログの記事と同じように,「やらなきゃ」という意識が芽生えてきます。最後に訳の一例を載せて終わりたいと思います。訳の指摘や方法など何でもよろしいので,何かございましたら,コメントを頂けると幸いです。(Othello)

『英語青年』「英文解釈練習」2006年12月号新課題(担当 真野泰先生)
When I ran away from Cambridge and came to London in the summer of 1984, I found work teaching English as a foreign language at a school in Soho, a temporary post that somehow lasted four years, in the same way that everything I fell into through lethargy or chance or panic seemed to last much longer than it should have done. But I love the work and loved the students (mostly young western European taking time out from degree course); and through the teaching left me plenty of time to write, I didn’t do any, and spent long afternoon in other members of staff, or a crowd of charming young Italians. It was wonderful way to waste my time.
They knew, of course, about the football (the topic somehow seemed to crop up in more than one conversation class). So when the afternoon of the 29th of May, that they had no access to a television, and therefore could not watch Juve beat Liverpool in the European Cup Final the night, I offered to come down to the school with the keys so that we could watch the match together.
There were scores of them when I arrived, and I was the only non-Italian in the place; I was pushed, by their cheerful antagonism and my own vague patriotism, into becoming an honorary Liverpool fan for the night.
― Nick Hornby, Fever Pitch

拙訳
 ケンブリッジ大学を飛び出して,ロンドンへやってきたのは,1984年の盛りのついた夏だった。私は,ソーホーの街で外国人に英語を教える仕事に就いた。一時的な勤め口であったがなんとか4年続いた。そのときに感じた無気力や偶然やパニック状態は,必要以上に長く感じた。それでも,仕事は好きだったし,生徒のことも好きだった(ほとんどのヨーロッパから来た若い生徒は学位取得の過程を休んでいるのだ)。英語を教えていると,書く時間がたくさんできたが,空いている時間は何もせずに,長い午後はオールド・コンプトン・ストリートにあるコーヒー屋に行って,同僚の先生や愉快なイタリア人の若者と一緒に過ごしたのだった。時間を潰すにはとても良い方法だった。
 生徒たちは,もちろんサッカーについていろいろ知っていた(どういうわけだが,会話の授業で次々と話題になった)。そして,イタリアから来た生徒がテレビを見るすべがなく,つまり5月29日の午後すなわち生徒たちは夜にあるヨーロピアン・カップユベントスリヴァプールを破るところを見られないと,愚痴をこぼした。そこで私は,彼らに学校に鍵を持ってくるようにと提案した。そうすれば,みんなで一緒に試合を観ることができるからだ。
 私が着いた時には,みんないて,そこでは私だけがイタリア人ではなかった。私は,生徒の陽気なライバル心と自分自身の徳高い愛国心によって,その夜は,ひとりの名誉リヴァプール・ファンとなった。
(2011年10月8日訳)