常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

sentiment is my forte

昨日,大学院博士課程の先輩との読書会でオスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の笑劇『真面目が肝心』(The Importance of Being Earnest, 1895年初演)の音読と精読しました。芝居のトーンとテンポが非常にいい,ワイルドの傑作です。さて,この劇をテクストとして読み解くことも大変面白いのですが,今回はこの劇の第1幕の書き出しから英語表現を拾いつつ,笑劇として面白い点(ウィットに富んだ表現)を書きたいと思います。
まず,ト書きを少し訳しながら,場面の説明をします。この最初の場面で,笑劇らしく笑いをとっています。
場面は,ハーフ・ムーン・ストリート(イングランドのタウンにあるアッパー・クラスの住む通り)にあるアルジャーノンのフラットの居間(morning-room)。部屋には豪華で芸術的な家具があり,隣の部屋(adjoining room)からはピアノの音が聞こえる。執事のレーンは午後の紅茶の準備をしていて,音楽が止まると部屋からアルジャーノンが登場。
Scene: Morning-room in Algernon’s flat in Half-Moon Street. The room is luxuriously and artistically furnished. The sound of a piano is heard in the adjoining room. Lane is arranging afternoon tea on the table, and after the music has ceased, Algernon enters.
ALGERNON   Did you hear what I was playing, Lane?
Lane   I didn’t think it polite to listen, sir.
ALERGNON   I’m sorry for that, for your sake. I don’t play accurate-
ly―anyone can play accurately――but I play with wonderful ex-
pression. As far as the piano is concerned, sentiment is my forte.I keep science for Life.
Lane   Yes, sir.
ALGERNON   And, speaking of the science of Life, have you got the cucumber sandwiches cut for Lady Bracknell?
                             (Act1, 1-9,強調筆者)
さて,この文章のどこにワイルド流の笑いが含まれているのでしょうか。それは,強調箇所のmy forte,the science of Life, the cucumber sandwichesと,このアルジャーノンの台詞に秘密があります。
最初のこのmy forteとは単純に「得意なもの,強み」(『ジーニアス英和辞典』大修館書店)という意味だけで使われているのではありません。おそらく音楽をやっている人なら,すぐピンとくると思いますが,これは言葉遊びとして,音楽用語のいわゆる「フォルテ(強音)」という意味でも使われているのです。つまりアルジャーノンは「誰もができるような譜面どおりではなく,情味や感情でピアノを弾くことは,〈フォルテ〉であり,彼にとっての〈強み〉である」のです。
次のアルジャーノンで台詞では,論理的にかなり無理のある台詞が描かれています。2つの強調箇所であるthe science of Lifethe cucumber sandwichesの間には,科学的な繋がりはまったくありません。ここが面白い!つまり,ここでは,2つのことばのギャップが描かれており,そのギャップがあまりにも大きいために,観客の笑いを誘うことに成功しているのです。引用箇所を少し訳しますと,「それと,,,生活の科学と言えば,ブラックネルさんを御持て成しする時の,きゅうりのサンドウィッチの準備ってのは,できているのかい?」となります。実際,読んでいるとき,思わず先輩と笑ってしまいました。
以上は,あくまで劇の触りの部分です。劇には本当にたくさんの〈笑劇〉のレトリックがあります。とくに階級を意識した表現や劇作術などは本当に面白い。さらに,この作品が面白い理由は,笑いの要素だけではなく,きちんと社会風刺も描かれている点です。ちょうど疲れた夕方にピッタリの作品だと思います。 (Othello)