常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

教育実習生の感想

実習体験レポートの第一弾,H.C.M.さんのものです。これを皮切りに実習を終えた学生からの報告がどんどん入りますので、その都度ここにアップしていきます。教員を目指す3年生にinspirationになることを期待しています。(UG)

5月13日〜31日の3週間、母校の○○大学附属中学校にて教育実習を行った。中学2年生を担当し、授業実習は3週間で計21コマ、最終日に研究授業をした。

<大変だったこと>
3週間を通して私自身がもっとも悩まされ、最後まで克服できなかったことは、抑揚のある授業を行うことである。授業の前半は、生徒も緊張感を持って授業に臨んでいるが、後半になるとその緊張の糸も緩んでくる。その糸を張り直すために、前半と後半で変化をつける必要があった。けれども私自身、ある程度確立している授業形態の中でどのように変化をつければいいのかが分からず、指導教官の方からはいつも授業が平坦であると指摘を受けていた。そこで後半に生徒が口を動かす機会が多くなるような活動を行ってみたり、少し頭を使うような発問をしたりと試行錯誤を行ったが、思うようにいかず、結局課題として残るような結果になってしまった。

<心掛けていたこと>
私が授業を行う際に心掛けていたことは、2つある。
まず1つ目は講義調の授業にならないようにすることである。たとえば、文法の説明をする際、教師が一方的に話してしまうと、生徒は聞くだけになってしまい、どうしても眠くなってしまう。それを防ぐためにも、出来るだけ生徒に質問を投げかけ、答えを引き出すようにすることを心掛けた。その方が生徒自身も受け身の授業にならず、主体的に学べるため、理解度もより高くなる。また、発問をすることによって教師自身も生徒の理解度を把握しやすくなり、理解不十分であると感じたところを再度教えるなどの工夫が出来ると考えたからである。
2つ目は生徒が答えてくれるような発問の仕方をすることである。どのような発問をするかということも大切であるが、私が心掛けていたことは先生が説明として話している部分と生徒に発問を投げかけている部分とで差をつけることである。始めは私自身、そんな差はいらないと考えていた。しかし、実際に授業を行ってみると、分かりやすい発問をしているはずなのに、うまく反応が返ってこないことがあった。そのときに指導教官の方に指摘されたことは、「生徒は教師の言葉からだけではなく、声の強弱や高低、態度などnon-verbal的な面からもいろいろな情報を読み取って授業を聞いている。」ということであった。そのため今が話を聞くときなのか、答えるときなのか、はっきり差をつける必要があるという。それ以降、答えてほしい質問をするときには、それまでの口調よりも少し大きな声にし、ゆっくり話すなどして変化を出すことを心掛けるようになった。

<研究授業について>
実習の最終日に研究授業を行った。研究授業のために一週間ほど前から準備を始め、教材等も力を入れて作成した。直前に指導教官の方に多くの点を直されてしまい、大きく混乱したこともあった。けれども別の先生から、今自分が出来ると思うことを最大限に実践すればいいという言葉をかけていただき、笑顔で授業を行うということを目標に授業に臨んだ。
英語科の先生方だけではなく、他の科目の実習生も来ているといういつもとは違った環境であったことから、私自身緊張してしまった部分があった。そのため、授業終了後、指導教官の先生からは「いつもなら聞こえているはずの生徒の声が、今回は先生の耳に入っていなかった」と指摘されてしまったり、メリハリのある授業が出来なかったということなどの反省点が多々あった。しかし、そのような至らない点はたくさんあったが、緊張しながらも、自分が立てた目標は達成することができ、3週間の集大成として、満足のいく授業を行うことが出来たと考えている。
けれども研究授業を行ってみて、もっと考慮するべきだったと感じることは生徒の様子である。いつも行う授業での生徒の様子を想像しているとうまくいかない点が多く出てくる。
研究授業ではいつもよりも多くの先生方が教室の後ろに並んでいるということ、さらにビデオカメラも回っているということも関係して、たしかに教室内はいつもと違った雰囲気であった。生徒たちも緊張している部分があり、普段はにぎやかなクラスもそのときはすごく静かであったり、まじめな答えしか出てこなかったりといつもと様子が違っていた。けれども私はそれを想定することが出来ず、生徒の反応が普段と異なることに慌ててしまった面があった。教室の環境が違うと生徒も緊張するから、いつも通りではないだろうということを、事前に考慮しておくべきであると感じた。
そして、生徒の様子を気にして授業を行うということは、教師に常に求められることであると思う。特に月曜日の1時限目に授業を行うときは、英語への切り替えが出来ていない生徒が多く、いつも通りに授業をしてしまうと、結局彼らは授業を理解できずに終わってしまう。休み明けの最初の授業であるということを考慮し、英語に切り替えるための活動を取り入れるなどの配慮が必要である。
授業の主体はあくまでも生徒である。私は授業を行うことに必死になるあまり、実習全体を通しても、そのことへの意識がおろそかになっていたと反省した。

<3週間を通して>
 教育実習を3週間行い、教師としての立場で過ごしてみて感じたことが多くあった。もっとも強く感じることは、人に教えるということの大変さと楽しさである。生徒に1を教えようと思った場合、教師は10を知っていなければいけない。そのための勉強を欠かすことはできない。さらに、分かりやすい授業はどういったものであるのか、どういった活動であれば飽きずに参加することが出来るのかなど、常に生徒の立場に立って物事を考える必要がある。また、教師という仕事は将来が長くある人間の土台となる部分に大きく影響を与える仕事である。そういった面を実際に体感して、この仕事は本当に好きでなければ続けることが出来ないものであると強く感じるようになった。
しかし、それと同時に、教えるということの大きな責任の中に、この仕事の大きなやりがいがあるのではないかと感じた。大変ではあるけれども、誰よりも影響力の高いものであり、誰よりも成長性の高い仕事であると思う。
つたない授業にも関わらず、真剣に聞いてくれる生徒のまっすぐな視線、笑ったときの純粋な笑顔、楽しそうに会話をする先生と生徒。3週間、大変なこと、つらいことがたくさんあったが、多くのことを間近で見て、そして実際に体験することで、教員という仕事の魅力、素晴らしさを実感できた3週間であった。多くの人の協力によって、こうした貴重な経験が出来たことに感謝しつつ、3週間で学んだこと、感じたことをしっかりと将来の自分に活かせるようにしていきたいと思う。