常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

英語文化遺産 #5:岸本能武太について

昨日は久しぶりに早稲田に行ってきました。岸本能武太(きしもと・のぶた)の調査のためでした。

岸本は社会学者、宗教学者として知られますが、英語音声教育の分野でも業績を残した人でもありました。英語関係の著書 『英語研究 発音の原理』(北文館)では、アクセント(現在でいうストレス)の重要性を主張し、かつ、教室での指導法(揚頭式)が提案されています。彼はまた、文部省(当時)の視学官として関東、東北の中学校(旧制)の授業をいくつか参観し、感想・意見を報告書としてまとめています(『中学教育に於ける英語科』)。
           
神保先生、伊地知先生、戦後の五十嵐先生、東後先生、松坂先生など、英語発音を大切にする早稲田の英文の伝統は、彼のこうした主張から脈々と受け継がれているのだと勝手に想像しています。(ただし、岸本の教え子の回顧録によると、本人の発音はかなりheavyな、なまりがあったそうです...)

ともかく早稲田には、本人自筆の履歴書がきちんと保管されていて現物を撮影してきました(コーフンしました!)。岡山の藩士だったといわれていますが、はじめてどこの出身だったのかがはっきりとわかり、非常に助かりました!(UG)

以下、岸本の略歴

岸本能武太は慶応元(1865)年,岡山に生まれた。岡山中学を退学した彼は,明治13(1880)年に新島襄(1843~1890)が創設した同志社英学校英学普通科に入学し,英学を学んだ。在学中に旧姓の「瀧」から「岸本」へと改姓した後,明治15(1982)年に新島より洗礼を受けた。しかし,在学中から,「懐疑と煩悶」に悩み同校を一旦卒業した後に神学部に入り直し,明治20(1887)年に卒業した。同志社卒業後は彦根中(旧制)で英語を講じたが,職を辞し明治23(1890)年に米国ハーバード大学に入学し,比較宗教学を学んだ。ここでユニテリアン(Unitarianism)に帰依し,明治27(1894)年に同校を卒業し,神学学士および修士号を取得した。明治26(1893)年に帰国後は明治29(1896)年,姉崎正治(1873~1949)と比較宗教研究会を組織し,宗教研究の発展に尽力した。明治29(1896)年東京専門学校(現 早稲田大学)に新設された英語学部実用英語科主任に就任したが,3年後には東京高等師範学校(現 筑波大学)英語部主任になった。しかし明治35(1902)年には早稲田大学に復帰した。明治38(1905)年には同志社理事となり,以来,早稲田大学及び東京高師などで30年以上にわたり教鞭をとり,英語,比較宗教学,社会学などを講じたが,昭和3(1928)年逝去した。