ゼミで学んだこと #21
このゼミを履修する者なら皆一様に、教員志望であり、私もその一人である。私はこの大学に入学して以来、教員免許取得のために必要な単位というものを取るため、講義を履修していたが、実際のところ、そこで行われていたのは、一方通行型の授業、そして単なる知識の刷り込み、それも現場とは遠くはなれた領域での話が多かったと思う。私が考えている教師像というのは、生徒と教師の目線を同じ高さで、同じ目線で物事を考えられる、いわば現場主義的な教師である。この理想と実情の差異に私は不安を感じていた。それは、知識だけを詰め込んだだけの頭でっかちな教師になってしまうのではなかろうか、という不安である。
UGゼミで行っていたアクティビティというものは、そんなものを打開するかのような内容だったと私は今更ながらに考えている。従来の日本の英語教育、しかもゆとり教育の中で育ってしまった私が受けてきた授業に、革新的という言葉はもちろん存在せず、どれも知識の刷り込みばかりを行う一様な内容で、実践的な行いはまるでと言っていいほどなかった。このゼミでの授業は、教員に必要な英語力はもちろん、その先に多大に広がる英語を学ぶ、ということにも、視点が置かれているが、どちらかと言えば、その英語をどう学ぶか、ということに注目していたと考えている。
例えば、ウォーミングアップとして授業内で行われたアクティビティなのだが、まず二人一組を組んで、和語英訳、または英語和訳をするというクイックレスポンスというアクティビティがあった。これは、内容の理解度を測る事ができるだけでなく、生徒間の競争心を煽ることによって、生徒ひとりひとりの取り組む姿勢がより良い物となる。何よりもエキサイティングなアクティビティであると思った。
ここで、ひとつ考えさせられたのが、教師という存在である。この場面では、教師はただ英語か日本語どちらの単語を言うだけである。これは、ある意味私が受けてきた英語の教育とはまったく異なるものであるということがわかる。ここでの、教師の役割というのは、英語を教える、ということではなく、英語を学ばせるというものである。この両者の差というものは非常に多く、他人にやらされるのか、自分でやるのか、というのでは効率や最終到達地点は、どちらがいいか一目瞭然である。この授業での根幹としてあったのはやはり、我々生徒が教員志望しているという熱に託し、自らを律し、どこまで自らを鍛え上げられるかという点だったと思う。先生はそこに、補足的に知識や体験談などの情報を付け加えてくれていたのだ、と私は実感した。
私が最もありがたかったのは、模擬授業である。他の講義内で行われるものは、生徒が生徒役になりきれていなかったり、まじめにやる生徒が少なかったたりと、質が高くなかったのに対し、このゼミで実施したものは、どちらも真面目で質が高いものが出来たのではないかと考えている。これは、そのように生徒を上手く誘導出来るUG先生の手腕によるものだと改めて実感した。私は、この英語教師になるにあたって、英語を教えるだけの教師ではなく、UG先生のような教師になりたいと思った。(Carpenter)