常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

ゼミで学んだこと #14

一年間に先生がどれだけの知識を水曜一限の早い時間から分け与えて下さっただろうか。また、その先生の溢れんばかりの知識を私はどれだけ授かることが、自分の物にする事が出来ただろうか。私の3ゼミの授業、また先生に出会ってからの一年を振り返ればそこにはただただ多くの「言い訳」が存在する。しかし、言い訳ばかりし続けた私が得たいくつかのこと、私が心に留めていることの一つである「ネガティブな発言をしない」ということを踏まえながら、ここに書き記そうと思う。

自分に自信が無いという事が私には今までなかった。高校時代は部活の練習は今よりとても辛く、衝突も多かったが、それでも同じ方向を向いた仲間と過ごした時間、その日々の努力で得た大会での成績にも満足しており、また友人関係にも困ることなく、言ってしまえばクラスの中心にいた私は私の「理想の青春」を謳歌していた。

大学でも部活中心の生活を送り、経験者ということもあり部活でも優遇され、学科で仲良くする子たちとも部活の合間を縫っては遊び、部活が邪魔をして旅行等にはいけなくても、自分の生活に高校時代同様満足していた。

その反面、勉強はどうでもよかった。勉強の必要性も見出さなかった。もちろん成績は悪かった、特に気にしなかった。努力はしなかった、悪いと思ってもなかった。
英語だけが好きだった。留学は憧れだけで決めた。

正直、私は資格試験にも勉強をせずに合格してきた。受験も死ぬほど勉強したわけではない。留学に行った事が功をなして合格しただけだ。センター試験の英語の成績がずばぬけてよかった。センターは「なんとなく」で分かった。「なんとなくあっているように聞こえる」。それが私の英語への取り組み方だった。憧れでいった留学で自分は英語に関してはできるほうだと思っていた。英語が自分の強みだとさえ思っていた。私は勉強に対して努力をした事が無かった。それを認めざるを得なくなったのはこのゼミに入ってからである。

考えてみれば、私には勉強だけに的を絞ると誇れる事が無い。それなりの資格はとってきた。でも自信には繋がらなかった。努力をして得た資格ではないということを私が一番知っているからだ。合格すれば採用試験で専門教科が免除になると知った私は、もしかしたら前回同様、まぐれで受かるかも、という軽い気持ちで受けた英検一級の試験で愕然とした。何も読めないのだ。どの単語も分からない。文法がどうこうじゃない。何も読めないのだ。私の武器だと思っていた英語は「感覚の英語」だったのは分かっていた。その「感覚」はやはり「感覚」でしかなくて、単語の意味が分からない時には、その感覚を使用する機会さえもが無いということに気づかされたのである。「感覚」は「知識」に勝てない事を知った。

では、その打撃によって勉強するようになったのかといえばそうでもない。ゼミの仲間が単語をやっている間に私は部活をし、英語に対して真摯に向き合っている間にバイトをし、逃げた。自分で言い訳にしていた。バイトも、部活も、応援団の活動も、みんなより忙しくやっている。みんなより朝早く起きてバイトに行って、授業受けて、部活をやって、夜遅くに帰ってきて、課題に追われて。時間が無い。時間が無い。時間が無い。

ある日、授業で「自分の自信=知識量」ということを先生がおっしゃった。「自信を持てないのは、自分にその知識が無い事を知っているからだ。」と言うような内容で話は進んでいった。図星だった。逃げ場がなくなった。それと同時に日に日に自分が周りに劣っていることが明白化してきた。自己嫌悪に陥った。自信をもてる時間がゼミの間はなかった。最初はゼミのおかげでモチベーションは高まっていた。しかし、だんだんと苦痛になってきた。とても最悪な気分だった。

しかし、そのおかげで私は自分を知れた。私は本当に見栄っ張りだ。自信をもった自分が好きだ。見栄を張るには、気持ちよく人前に立つためには、「知識」が必要だと再認識した。部活を引退してから勉強するのだと周りに言っていたにもかかわらず、一カ月遊び呆けた。仲間に心配されるくらい遊び、寝て、勉強はしなかった。そのおかげで、すべての準備が整った。

大学生活、部活には手を抜かなかった、友達とよく遊び、残すは勉強だけとなった。私の「理想の大学生活」はあと勉強だけすれば良い所まで来た。採用試験まで一年半もあった猶予の三分の一しか私にはないのは自分のせいである。ゼミに出席し始めたころの私なら、「まずい。つんだ。やばい。」そう繰り返していただろう。焦っているだけで何もしなかっただろう。でも私には今は違う思いで勉強に取り組むことができている。

「ネガティブな発言をしないように」と先生が私におっしゃられた日、ある本を先生は紹介された。それは私ももっている本で、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本である。その一節を以下に記し、先生の様な生徒の小さな変化に気づく教師、知識や経験が豊富で自分に自信をもった教師、その知識や経験によって生徒を引き付ける魅力がある教師を目指し、今は根を下ろす努力に励んでまいりたいと思います。

一年間ありがとうございました。(Slope FootStep)

“Bloom where God has planted you”
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。
                         『置かれた場所で咲きなさい』より