常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

論文を読んで(ある英語音声教育者の規範)

来年から大学院生になるので,今の時期から論文をしっかり読み込もうと思い,英語教育の音声面に関する論文を読み始めました。記念すべき1つ目は4月からの指導教官、早稲田大学の松坂ヒロシ先生の『ある英語音声教育者の規範:五十嵐新次郎が追及した正確さ』です。
論文の目的は,英語教育者五十嵐新次郎先生の英語音声に対する規範意識について考察することです。五十嵐先生は早稲田大学で英語音声学を講じながら英語教員養成にあたると同時に,ラジオ・テレビ番組講師を務められたので,全国の英語学習者に一定の影響を与えました。先生は授業でよく「ことばを教える教師は,しっかりした言語観をもたなくてはならない。教師の言語観は実際の授業ににじみ出てくるものだから」と仰っていたとのことです。
五十嵐先生の授業は,Daniel JonesのAn Outline of English Phonetics,9th ed.(1960)を使われ,教科書を越えた内容も扱っていたとのことです。教授法はアメリカ構造言語学の影響を受けており,理論をしっかり学んで,それをもとに体を使って練習していくスタイルで,先生ご自身は学生の見本になっていました。事実,五十嵐先生はご自身の発音を保つために,出勤前,長い時間をかけて独自の発音練習を行っていたようです
そのような指導を通して五十嵐先生が植え付けたかったことは,「英語を言うときは,日本語の音を流用せず,ひとうひとつの音を,英語の音として出せ」ということではないかと推測されています。1980年代に発行された学術誌World Englishes: Journal of English as an International and Intranational languageを皮切りに,国際語としての英語(発音)の重要性が叫ばれ始めました。しかしすべてオレ流でいい,などと言っていると,相手に伝わらない発音でもOKとなってしまい,おかしなことになってしまいます。だからこそ五十嵐先生は「ことばを教える教師は,しっかりした言語観をもたなくてはならない。教師の言語観は実際の授業ににじみ出てくるものだから」ということを強く仰っていたのでしょう。
やはり教師の発音は,生徒にとって見本になるものです。ネイティブになれなくても,追求し続けなくてはなりませんね。(Sugiuchi)
参考文献
生井健一(編) (2009)『言語・文化・教育の融合を目指して:国際的・学術的研究の視座から』pp.326-339.