常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

一期一会

4月29日の記事へのコメント中,A30の田邉祐司先生から山口県のS先生についての言及がありましたが(http://d.hatena.ne.jp/A30/20100429/1272526508#c),実は,私,小山本はS先生のご自宅にこれまで3度もお邪魔させていただいています。
訪れた人は,必ずその離れ(というより,もはや図書館)に衝撃を受けます。そんな離れもさることながら,先生がお持ちになっている独特の雰囲気が生み出すあの空間,通称「S道場」が私には何より印象的でした。
教育,とりわけ英語教育というものは,田邉先生もよくおっしゃいますが,結局は「学習者次第」だと思います。しかし,これは学習者に任せっきりの放任主義を意味するわけでも,教員が無力というわけでもありません。そのことを私に教えてくださったのがS先生です。最初に訪問させていただいたとき,先生が教員時代に生徒に配布した何十枚というプリントをいただきました。宿題のプリントではありません。その一つ一つには生徒を励まし,そっと背中を押すようなメッセージが書かれているのです。そして,S先生のもとを巣立った生徒は,現在様々な分野で活躍されています。確かに,教授法や指導技術を学ぶことは大切だと思います。しかし,S先生の実践には教授法云々を超えた教育の本質,「教育的まなざし」があるように思いました(すみません,これ以上,言葉ではうまく言い表せません)。さらなるS先生のエピソードは,田邉祐司・他(編)『がんばろう!イングリッシュ・ティーチャーズ:自主研修読本』(三省堂)に載っていますので,是非一読ください。
また,S先生にお会いしたとき,名刺代わりにまず手渡してくださったのがこの一枚の写真。私の宝物の一つです。

S先生と出会うことがなければ,あの離れを見ることも教育の本質も学ぶことはできなかったと思います。昨年度の教員採用試験にも受かってはいなかったでしょう。そして田邉先生に出会わなければS先生に出会うことはありませんでした。そんな田邉先生に出会ったのは何気なく履修した早稲田での授業がきっかけです。まさに「一期一会」。「出会い」というのは本当に面白いものだとつくづく思います。
今は大学院で研究をしていますが,実は私自身,研究者志望ではありません。このことは田邉先生もご了承済みで,入学以来ずっと現場を意識した指導をしてくださっています。そのおかげもあって,すでに書きましたが故郷静岡の教員採用試験に合格することができました。来年度から教員として教壇に立ちます。これは誰にも言ったことはありませんでしたが,研究者志望ではない私の次の目標は「静岡のS先生」になることです。(院生 小山本)