常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

教育実習を終えて(白金台支所)

三週間、沢山の人たちに支えられた。先生方、そして生徒たち、その他の人たちに心から感謝している。笑顔で気持ちよく終えられたのは、すべて、私を支えてくれた周りの人たちのおかげだ。

最初の一週間は授業見学の連続で、生徒たちの顔と名前を一致させようと必死だった。生徒たちには「圧倒」という一言が何よりも合っている。彼らの元気と若さには何度も圧倒された。この爆発的な元気はどこからくるのかと甚だ疑問であった。その反面、最初の三日間は、生徒たちは私に対して距離を推し量るように接していた。初めて、中学生の授業を見学したとき、こんなに幼いのかと驚愕した。走り回り、大声で歌を歌い、授業中に立ち歩くこともしばしば。この生徒たちを律し、かつ授業を円滑に進めていくことなど私には到底、無理なように思えた。一週目の土曜日は、次の月曜日の初授業が不安で、静まった校舎の中で一人模擬授業をした。声は通るだろうか、きちんと生徒を静められるだろうか、そんなことばかりを考えていた。声をいくら張り上げても、校舎の暗闇が不安を増長させていった。

初授業の日の朝をよく覚えている。空はよく晴れていて、駅から学校までの道のりがいつもより短く感じた。緊張で学校に行くまで何度も空を仰いで息を吸い込んだ。その日は緊張で気持ちのいい朝のことしか覚えていない。初めての授業は最も賑やかなクラスで行った。このクラスは注意の時間が、他のクラスよりも多かった。しかしそれにもかかわらず、最後の授業のときに、これが最終授業であると伝えると、拍手をして労ってくれた。この子達にも支えられていたのだと痛感した。その拍手で目頭が熱くなったことは彼らには内緒だ。

最終日に、生徒たちからのサプライズがあった。そして花束と色紙を貰った。また私は目頭が熱くなった。生徒たちは私がこんなにも涙もろいなんて思わないだろう。私は強くあろうと思った。だから彼らの私に対するイメージは涙とは無縁なはずだ。私は演技していた。強く颯爽とした「先生」を。それなのに彼らはその強固な仮面を意図も簡単に壊した。最後に生徒たちの前で話したとき、声が震えてしまった。その生徒たちの後ろで担当教諭のお二人が微笑んで、立っていてくださったのが見えた。そのとき、本当に私は支えられていたのだと実感した。一人では、絶対に乗り越えられなかった。こんなに大きな達成感を得ることなどできなかった。

思い返すと、本当にいろいろなことを経験させてもらえた。小テストの作成、学年ホームルームでの発表、保護者会でのご挨拶。小テストでは、私が英単語を言い、その単語を生徒が聞き取るという形式であった。また小テストの丸付けまでさせてもらえた。本当に貴重な経験であったと思う。めまぐるしく時間が過ぎ去っていく中で、私は少しでも成長したのだろうか。この三週間で私は少しでも理想の先生に近づけたのだろうか。そんなことを考えた。沢山のことを学び、経験した私は、すこしは背筋が伸びているはずだ。三週間前よりも、いい顔になっているはずだ。
今、私の部屋の出窓には、貰った花束が飾られている。花瓶に生けられたその花を見ると、温かな気持ちになる。この先、密度の濃いこの三週間を何度だって思い出すだろう。そして、それを思い出すときは、きっと青空だ。実習最終日の終礼後、実習生控室に戻る途中、生徒に二階の窓から呼び止められた。その生徒に返答し、ふと空を見上げた。そして空を仰ぎながら、呟いた。「大変だったが、楽しい三週間だった。」と。この呟きを吸い込んでいった、梅雨の青空を私は忘れない。(Plum)