常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

ゼミで学んだこと #23

私は、3年次のゼミから継続するように、特に考えることもなく、このゼミを選択しました。「教員になりたい」という目標と「教育実習が近い」ということで、ゼミでの模擬授業を通して学ぶことができたらなと思っていました。いま考えると、授業が始まる前は、ゼミに対する意欲も「なるようになる」という気持ちで、前向きに学ぶ気持ちが少なかったように思います。しかし、実際に4月の第一回目の授業から、教育実習がもう直近にあること、そして、自分の英語教育に対する知識が教壇に立つものとして、とても少ないことに焦りを感じるようになりました。焦りとともにスタートしたゼミで、私は、特に以下のふたつを学び、得ることができました。

 まず始めに、教室の前にたつ責任の重さです。私は、ずっと模擬授業が大嫌いでした。人前で話すことに緊張して、自分が考えるように授業を進めることができなかったり、人前で戸惑ってしまうことが多くありました。ゼミでも春のセッションと教育実習に行く前に模擬授業をさせていただきましたが、やりたくないな、と思っていたのが本音です。しかし、初めて田邉先生に模擬授業を見ていただいた春のセッションで、先生に模擬授業に対するコメントを聞いたときは、「まただめだったな」という気持ちより驚きの方が大きかったです。それは、私の英語力へのコメントはもちろんだったのですが、私の口癖や自身のなさが露呈していたことに対するコメントがあったからでした。自分自身が気づかないうちに口癖として、同じ言葉ばかりを言っていたことを先生は気づいていました。いままで模擬授業に対するコメントは、立ち振る舞いや声の大きさなどを指摘されることはありましたが、発したことばを指摘されたことはありませんでした。先生は常に、ひとりひとりの生徒の細かいところにまで目を配っており、授業のなかでも話を振ったりしていました。教室の前に立つものとして、先生のように「扇風機」をしっかり行ったり、細かいところに目を向けて、生徒の状態を把握していくことが教員には必要だ、ということを先生のお話からだけでなく、日ごろの立ち振る舞いから学ぶことができました。また、自信のなさというのは、生徒に不安を与えてしまう、ということにも気づくことができました。指摘されるまで気づくことが手できませんでしたが、振り返ってみると、自信がないことを理由にして、模擬授業や人前に立つことに甘えていたように思います。特に、人前で英語を話す、ということからはずっと逃げていたと思います。しかし、模擬授業をやり、先生からいただいたコメントや友人たちからもらったコメントシートを見て、生徒に自信がないところを見せてはいけない、と思うようになりました。これは、教育実習に行く前に気付けてよかったことだと思います。教員は授業中にネガティブな発言をしたりせずに、演じなければならない、と学びました。生徒に不安を与えるような自信のなさを言い訳にせず、堂々と演じていけるように努めていきたいと思います。

 次に、ゼミで学んだことは、「英語を生徒に教える」ということの意味でした。いままでゼミ以外でも英語教授法や教授法理論などを履修していました。その授業を通して英語教育に関して少しは学ぶことができた気がしていました。しかし、4年次の初めの時点で、私はそのようなことを学ぶ以前の問題であることに気づきました。いままであまり指導されてこなかった発音や語彙力不足などそこを改善することが先決でした。ちょうど教員採用試験の勉強でも専門教科である英語が足を引っ張っていたので、追い打ちをかけるように落ち込んでいました。いままで4年間なんとなく単位を取得して、真剣に英語学習をしてこなかったツケが回ってきたのかなと思います。春のセッションや夏の合宿で、田邉先生のゼミを卒業された方のお話や専修大学の方々、そして、3ゼミの英語学習に対する真剣な姿を見て、英語はやらなければ伸びないし、やればやった分だけ伸びるということを痛感しました。4年生になった頃は、教員採用試験に合格する、という目標があったので、できなくて落ち込みながらも英語を勉強していました。しかし、そのために勉強していた私の英語の知識だけでは、教員としては不十分です。不十分なんて言葉では足りないくらい私の英語の知識は乏しいと思います。先生は、後期のゼミで「勉強しなさい」と何度も助言してくださいました。いまの私が生徒に英語を教えるということは、先生の言葉を借りると、「犯罪」です。きっと田邉ゼミに入っていなかったら、そんなことも考えずに、教員になっていたと思います。教員として働きだしたら、スイッチをずっとONにしていなければならない、と先生はおっしゃっていました。そんな中で、勉強する時間がつくれるかつくれないかは自分次第だと思います。このゼミで英語を教える、ということがどれだけ責任のあるものかを気づくことができたので、「忙しい」を言い訳にせず、教員になってからも学ぶ気持ちを忘れてはならないと思いました。

最後に、私は田邉ゼミに入ってたくさんの出会いがありました。私は、3年次ゼミからそのままゼミ長をやってきましたが、このゼミで、このメンバーだったからこそ、やってよかったなと思っています。また、刺激をくれた3ゼミや専修大学のみなさんにも感謝しています。このゼミで学んだことは、英語の知識だけでなく、自分自身の生き方についてだったと思います。教員としてどうあるべきかを学び、いまの自分の現状とこれからどうなりたいかをつかむことができました。
田邉先生、お忙しい中、1年間ご指導いただきありがとうございました。(Upper Bridge)