常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

ゼミで学んだこと #22

私は3年次のチャーリーゼミに引き続き、田邉ゼミに入った。自分の夢の選択肢の一つして、ずっと「教師」が頭の中にあった私にとって、同じ目標を持つ集団に身を置くということは、とても意味のあることだったと思う。田邉先生とゼミの仲間から常に新しい刺激をもらい、このゼミだからこそ学ぶことができたことが多かったと感じている。ゼミの皆が「英語教育」という共通の課題を持ちつつ、それぞれの色をもって自身の目標に熱心に取り組んでいた。私はそのような中での交流を通して自分の未熟さに気付かされることが沢山あったし、意見の交換の場では毎回様々な発見があった。
そのようなゼミの1年間の中で、特に変化があったのは、英語の発音に対する認識である。正直に言うと、つたない私の発音で皆の前で話すのが毎回とても気恥しくて嫌だった。しかし、皆が自分の発音を改善しようと真剣に発声したり、積極的に英語で発言したりする姿をみて、このままではいけないという気持ちをもつことができた。英語の教員という立場になろうとするならば、正確な発音というのは絶対であるし、そのような発音が生徒の信頼を得ることにも繋がるのだと痛感した。また発音だけに限らず、「生きた英語」を教えるためには、英語が実際にどのような使われ方をするのかということも知っておかなくてはならないということを田邉先生から教えていただいた。それだけでなく、教師は文学や世界情勢など幅広い知識をもち、それを調理して伝えることで、「受験のための英語」とは一味違った、深くて広い学習になるのだということも教えていただいた。このように、英語の文化なども教えるということは、英語に関心がない生徒の興味を引き出すことにも繋がるのだと思う。
また、このゼミで学んだことは英語教育に関することだけではない。私の中に一番強く残っていることは、先生の英語に対しての取り組み方である。田邉先生の英語教師としての取り組み方は、私の「このくらいでいいか」という気持ちを遥かに超えていた。このことは教師という職業に限らず、生き方に繋がることであると思う。何かを成すときは、これくらいの熱量をもって取り組まなければならないということを目のあたりにし、実感することができた。私はオンとオフの切り替えが苦手で、一度休むとずっとだらけてしまうことに悩んでいた。そのため、田邉先生が仰った「何かを成す人は常にオンで、オフのときは一年に一回程度」という言葉にはハッとさせられた。また、先生の視野の広さにはいいつも驚かされた。常に視野を広くもつということは、他人を思いやり、気遣うという姿勢に繋がっているのだと感じた。私がこれまで出会った数多くの教師の中で、特に印象深く思い出に残っている教師を思い返してみると、「優しい先生」と「厳しい先生」がいた。田邉先生はその温かさと厳しさの両方を兼ね備えた先生だったと思う。
私は今後、英語の教員として生徒と関わり、指導をしていくということはないだろう。しかし、共通の目標を持ち刺激をうけながら取り組んだ1年は実りのあるものだった。そして「他者を認め、その人のことを思い、はたらきかけをする」という姿勢は、どのような人間関係でも大切なことであるし、もし将来子供をもつことになったら、このゼミや教職課程で学んだことを活かしていきたいと考えている。そしてなにより、このゼミで学んだ「自分の成すべきことを突き詰める」という姿勢を私の道に活かしていきたい。(Fujiwara's Assistant)