常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

「中退」に寄せて

選挙戦も後半戦に突入しました。選挙の時期になると気になるのが、候補者の略歴にある「○○大学中退」という文言です。

(大)昔、某議員の通訳をしたとき、パーティーの席上で「先生は○○大学を中退され、その後、政治の世界に入られました」という司会者の紹介があり、この「中退する」の訳に迷ったことがありました。

英語ではquit, leave系列か、drop outしか相当する言い回しはなく、前者は家庭の事情や進路変更など外的な要因があり、自らの意志でやめるというニュアンスが強いのに対して、後者は大学には通ったものの成績がふるわずにやめてしまうというニュアンスを含みます(cf. 『アンカー和英』)。このセンセイの場合は、お父様が急逝されたという情報を事前に知っていたので、quitで事なきをえました。

しかしながら、そもそも日本の文化では、有名な(偏差値の高い)大学に入学できるかどうかが、そこを卒業できるかどうかよりも大きな価値が置かれ、「中退」は独自の意味合いを持つ表現なので、果たしてそれをそのまま、quitやdrop outに置き換えるだけで本当の意味で通訳となるのかは依然、大きな疑問です。

事実、別の機会でしたが、チョー有名な、とある国際雑誌 外国人記者の選挙取材の通訳バイトを務めたときにも同じような疑問を記者から投げかけられました。記者さんは「なぜ○○大学中退と書くのか、なぜ○○高校卒業と言わないのか」がまったく理解できなかったようで、回らぬ舌を駆使(?)しながら、教育文化の違いを取材の合間に伝えたことがありました。

候補者の経歴を追いながら、橋渡しのできない西と東の考え方の違いを思い出していました。(UG)