常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

ゼミの感想 #28 

このゼミに入って、私は今まで自分が大切なことから目を背けていたことに酷く後悔しました。
 私は教員に憧れて、教員免許を取得することが出来るM学院大学に入学しました。他に将来やりたいことが思いつかず、教員になりたいということしか頭になく、何も悩むことなく、この大学に入学し、教員免許を取得するための授業を取ってきました。教職の授業でも学科の授業でも先生が話すことを、特に懸命になることもなく聞き、ノートを取り、レポートを書いて、テスト前に復習してテストを受けて、それで簡単にSやAが取れてしまいました。教員を志望している者として、あまりに意識が低かったと思います。「これで良いのか」と思う心があっても、怠けてしまった私はその心を無視してきました。自分の意識が低いこと、英語力がないことから目を背けて、そのままずっとここまで来てしまったのです。自分が大切なことから目を背けていることに疑問や罪悪感を薄々感じ、それを振り払うかのように部活に没頭しました。
 元から勉強は大嫌いでした。小学校の頃は授業に出ずに鬼ごっこやドロケイなど勝手に遊び先生を散々困らせ、中学の頃は部活にばかり熱中して成績は下降気味、たまたま怪我をして部活ができなくなり穴埋めとして勉強を必死にやったお蔭で高校は中堅校に入学することができました。高校は中学の時とは違う部活に入ったけれども、見事に熱中して、勉強は手を抜きがちでした。色々と緩い高校だったので、テストはそれなりに頑張れば全教科8割9割を簡単に取ることができ、大した努力もせずに各教科の学年順位は必ず5位以内でした。3年間その成績をキープしたお蔭で大学には指定校推薦で入学。部活に関しては初心者だったので、必死になって練習しましたし、部内衝突もざらにあったため、自分の中でも頑張ったという感覚があり、また先生方からも「よく頑張った」と言ってもらえていました。部活に没頭する反面、友達と学校の中庭に自転車を積み重ねて変なオブジェを作るなど、バカなことばかりやっていました。とても楽しかった、心底思います。
大学に入ってもそれは同じでした。少しの努力で、簡単に高い成績が得られました。部活にも没頭しました。少しでも時間が出来れば練習をして、少しでも上手くなれるように努力は惜しみませんでした。ただ異なることと言えば、バイトにも一生懸命取り組んでいたことだと思います。母子家庭であるため、私立の大学に通うことは母に大きな負担をかけることは分かっていて、自分から「部費は全額自分が負担する。学費は半分自分で払う。残り半分は出世払いする」と宣言し、部活と両立させるため、夜勤で夜通し働いてお金を稼いできました。練習は誰よりも多く行い、必死にお金を稼ぎ、大学の成績は悪くもなく、むしろ良い方で、周りからも「頑張っている」と言われ、自分は精一杯やっていると思ってきました。今思えば、何故部活に注いでいた熱意を勉強にほんの少しでも向けられなかったのか、何故将来のための勉強ではなく、今を充実させるための努力にばかり目を向けてしまったのか、と後悔しています。結局、部活や家庭環境を言い訳に、勉強から逃げていたにすぎませんでした。
自分には何もかも不足していました。ゼミでは毎週たくさんの単語の課題が出ました。ゼミのメンバーは「こんなに!?無理でしょ!」などと言っておきながら、ちゃんと単語の勉強をしてきており、「やってきて当たり前」という空気がありました。勉強に対する意欲を見せつけられたような気がします。ゼミ合宿のAll Englishという環境で、ゼミのメンバーが積極的に英語で話をしている中、私は英語力の低さから、まともに対話することすら叶いませんでした。自分で教員を目指すことを決めて、自分の意志でこのゼミを選びました。しかし、私は徐々にゼミが嫌になっていました。周りがどんどん成長していく中で、自分だけが止まっているような感覚に陥りました。結局のところ、それは自身の怠慢が原因です。そのことにも気づいていましたが、私はそれでも変わることが出来ませんでした。
部活は週5日、基本的に22時30分まで行い、家に着く頃には0時を回っている。部活がない日はバイト22時から朝の6時まで、それから登校して授業を受けて、部活をやって、とそんな日々の繰り返しに勉強に割ける時間はない。執行部で、部の運営のための仕事もたくさんある。自分は忙しい。ずっと、そう言い訳をして逃げていました。
 12月の定期演奏会が終わって、やっと時間に余裕ができたとき、焦燥感と後悔が襲いかかってきました。何故無理矢理時間を作ってでも勉強しようと思わなかったのか、何故部活にばかり目を向けていたのだ、何故将来を考えられなかったのだ。このままの英語力では教員になれるわけがない。このままの知識量で教員になれるわけがない。そして何よりも、こんな計画性のない、怠けた、努力の出来ないダメ人間が教員になって良いわけがない。人として自分がどれ程適当な人間であるかを思い知りました。焦って単語の勉強から始めました。
 先生は最後の授業で「英語力のない人が英語の教員になることは罪だ」とおっしゃっていました。その言葉は私に重くのしかかりました。今の自分が教員になることは罪なのだと認識しました。それでもまだ自分を変えることができたわけではないと思います。ただ、自分の中で少しずつ何かが動き始めたように感じるだけです。
 1年間、先生には多くのことを教えて頂き、私たちを焚き付けて下さりました。しかし、それでもちゃんと変わることが出来なかったことを、本当に申し訳なく思います。英語について、授業のやり方について、先生にはたくさんのことを教えて頂きましたが、今の私はそれを身に着けることが出来ていません。このゼミで、自分には酷い怠慢癖と現実逃避の癖があることを認識しました。それでも、私は教員への憧れを捨てることはできませんでした。自分が酷い人間であることを認識して尚、教員になりたいと思っています。こんな私が教員を目指して良いのか分かりませんが、それでも今からもう一度頑張り直したいと思います。大学生活は残り1年、教員採用試験まで残り半年。このゼミのお蔭で少しずつ動き出したものを止めてしまわないように、ゆっくりとしてはいられないけれど、確実に前に進めるよう努力していきたいと思います。

1年間、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。(Arrow Marsh)