常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

年頭にあたって

昨年末、ふとつけたTVで、「わが町」という渡辺謙主演の懐かしいドラマをやっていた(BS 日テレ)。原作はEd McBainで、彼の"87th Precinct" を脚本家 鎌田敏夫が翻案したものだ。

そのドラマの最初に「科学技術が発達して、地球上の距離は縮まった。人と人との距離は縮まっていない。」といった内容のナレーションがあった。「あっ」と思った。実はこれに似たスピーチを通訳したことがあったからである。山口で高校教員をしていたとき、高校野球のカリフォルニア選抜チームがやって来たときに通訳を頼まれ、九州から広島まで同行した(これはりっぱな県の英語教員の仕事だった。なんで、私が指名されたのかは謎である。この行事は今も続けられているのだろうか?)。

行く先々で、こういう国際交流にはつきものの歓迎レセプションがあった。うち徳山市(現 周南市)の市長さんが、「地球上の物理的な距離は今やどんどん短くなっている」という言葉をスピーチの冒頭に挿入された。事前の打ち合わせも、原稿もなにもない、それこそoff-the-cuffの通訳だった。Thanks to ~と訳したのか、enableを使ったのか、どんな文章立てにして「通訳」をしたのかすら覚えてはいないが、「縮まる」の部分だけは、名詞的にannihilation of distance(「距離の圧殺」)と訳したことだけは妙に覚えている。今、思うと汗顔の至りで、なんでこんな堅い言い回しをしたのかは不明。getting smaller and smaller...のような表現、もしくはshrinkあたりを使えば良かったと思うが、なぜか瞬間的にannihilationが浮かんだ、というか、口をついて出た。

すると不思議なことが起きた。通訳のあとの宴会で、選抜の団長がわざわざ司会者と並んでいた私のところに近づいて来られ、That's a take-off from Toynbee's? (たぶん)と言いながら、握手を求めて来られたのだ。もちろん、diplomaticな挨拶程度のものだったと思うが、その時のことが心に刻まれた。

このannihilation of distanceという表現、団長さんの言われたようにArnold Toynbee博士の名著 "A Study of History"からの借り物である。國弘正雄氏か誰かが絶対に読むべしと言われた本で、原典を古本(社会思想社?長谷川松治訳?)で仕入れ、訳書と首っ引きで読んだ記憶がある。野球でToynbeeでもあるまいが、後で聞いたところ団長さんはもともとは歴史の先生だったとのこと。稚拙な訳出に、突然、なじみのあるフレーズが出てきたので、このへっぽこ通訳者に興味をもたれたのだろう。

学生時代から面白いなと思ったり、気になった表現はできるだけメモに残して、あとで辞書を引きながら、自分の脳内辞書へと書き写してきた。そして、折りあらば使ってやろうと虎視眈々とねらっていた。スピーチでのannihilationはどうもその悪いクセが出たのだろう。

思えば、自分の英語表現は、このように仕入れたものを使ってみることによって形成されたものと言える。知らなかったものに感激し、ときにコーフンし、仕入れたものを「しめしめ」と思い、使う。使ってみて、曲がりなりに通じると、図に乗ってまた使う。そして、使ったものはいつの間にか自分の英語の骨格を成すのである。

だから今日もひたすら目にするもの、耳にするものの中で、要チェックのものはすかざずに残す、調べる、そして使う機会を期して「ねかせて」おく。そんな生活には休みも正月もお盆もない。ひたすら続けるのみである。理屈も、なにも要らない。ただそれが英語人生の一部になっているだけである。(UG)

「この秋は、雨か嵐か、知らねども、今日の勤めに、田草とるなり」(横山丸三)