常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

巨星墜つ

山口県下関市であった河上道生先生のご葬儀に参列してきました。享年 87歳でした。
          
http://d.hatena.ne.jp/A30/20120604/1338779392

入退院を繰り返されていたのである程度は覚悟はしていたものの、いざその日がこうしてやって来ると、心にポッカリと空いた穴を埋めるのに時間がかかりました。

ご葬儀は先生の人となりとご業績がまとめられたDVDの上映ではじまりました。曹洞宗の3人の僧侶による読経のあとは岡山のノートルダム清心女子大名誉教授 山下光昭氏によるeulogy。山下氏は、河上先生がデクレヤル国連事務総長、カーター米大統領、マザーテレジアなどの通訳にあたられたことを述べ、故西山千氏、國弘正雄氏と並ぶ、いや、それを凌駕するほどの英語の達人であったことをとうとうと述べられました。同感です。

続いて、ご親族のあいさつでは甥の中村氏が中学生になって、河上先生が執筆に加わっておられた教科書『ニューホライズン』を使った英語の先生から「君のおじさんは山口県の誉れだ」と言われ、敬慕の念が一層強くなったというエピソードを披露されました。とてもよいスピーチでした。

お焼香のあと、マザーテレサの広島講演での先生の通訳の肉声が流される中、ご出棺となりました。

英語の学者というと専門はできるが英語そのものができなかったり(不思議なことですが...)、また読んだり書いたりということはできるが、話すのは...などの実例が多い中で、河上先生は実にオールラウンドな英語力の持ち主でした。

そういうことを物語るエビデンスはたくさんありますが、いつか先生のことをまとめるときのネタとしてセーブさせてもらいます。ただひとつだけここで紹介するのなら、先生の英語力は「日英間の絶え間ない往復作業」の産物だったことだけは書いておきましょう。

知らない表現、文に出会うと徹底的に調べ上げ、理解して、そして使って(口に出して)、体へと染みこませる。その往復作業こそが巨星の英語を作り上げたのです。そしてそれは旧制中学への行き帰りの道すがらだったとのこと。

河上先生を代表とするわたし自身の「あこがれの先達」たちが立たれていたあの高みに立ちたい。立って彼らが見つめた風景を自分もこの眼で見てみたいという思いだけがわたしを衝き動かしてきました。あこがれを持つこと、その生き様を自分に取り入れること。考えてみればこんな素朴な思いが英語学習、常時英心の原動力だと確認したご葬儀でした。合掌。

さてと、そろそろ立ち上がりましょう。また歩きはじめましょう。(UG)

http://d.hatena.ne.jp/A30/20100521/1274411921