常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

cuckold's horn

 今日は先輩と久しぶりに文学の話をしました。学部時代に専門的に学んでいたことがあるので、とても楽しくなりました。そこで、今回は,シェイクスピアの作品の中でも,自信を持って「読んだ」と言える作品から,有名なモティーフを選び英語表現を拾いたいと思います。

 「寝とられ男には角が生える」13世紀以降のイングランドには,妻が寝とられた亭主は,額や頭から鳥のカッコー(Cuckoo)のような角(horn)が生える,‘cuckold’s horn’という迷信があります。シュミットのShakespeare Lexicon and Quotation Dictionaryによるとcuckold「ベッドである男の妻が不貞を犯す」とあります。シェイクスピアの生きた時代では,寝とられ男は笑いや風刺の対象となりました。もちろん,この表現は, “wear horn”,“cuckold”, “horned”などの言葉で,シェイクスピアの作品にもたくさん登場します。今回は自分が一番思い入れのある『オセロー』(Othello, the Moor of Venice,初演1602年?)に絞りたいと思います。

 自分が,寝とられ男になるのか,ならないのか,常に不安なのは,悲劇『オセロー』の主人公オセローです。 “cuckold’s horn”は,あの有名な台詞でも使われています。

IAGO O beware, my lord, of jealousy!
It is the green-eyed monster which doth mock
The meat it feeds on. That cuckold live in bliss
Who, certain of his fate, loves not his wronger;
But O, what damned minutes tells he o’er,
Who dotes yet doubts, suspects yet soundly loves!
(3.3.168-173 .強調筆者)

 ここでオセローは,イアーゴーに嫉妬心を煽られます。オセローが気にするのは,女性が寝取られたことと,自身のムーア人キリスト教信者,としてのアイデンティティが揺らぐからです。そのような揺れ動く気持ちを焚き付けたのが,この台詞です。

 つぎに,オセローが,自身の妻が寝取られ頭に角が生えた男として自身を表現したのが,第4幕第1場の台詞です。OTHELLO “A horned man’s monster and a beast.” (4.1.58. 強調筆者) という台詞で,第3幕第3場の台詞とは違い,皮肉的に聞こえます。上記の第3幕第3場の「誘惑の場」にて,オセローが完全に自身が寝取られたのだと,勘違いしたことを踏まえると,先ほどの台詞とは違い,とてもアイロニカルに響きます。

 そして,妻に不貞をされたのだと確信してしまったオセローは,セルフ・イメージと他者からのイメージを混合し,アイデンティティーを崩壊してしまいます。最終的にオセローは,キリスト教徒の立場に立って妻を処刑するように絞殺し,自身をキリスト教における他者になぞらえてナイフで心臓を刺して自殺してしまうのだから,嫉妬とは怖い。

 さらに,この「寝取られ男」のモティーフが怖いのは,当事者の男性のみならず,子供にも影響があるからです。つまり,寝取られ男の言葉が私生児となってしまう可能性があることです。私生児が生まれてしまい,自分の子孫が生まれないことは,生物としての雄の存在を否定されたことに等しいはずです。オセローや『冬物語』のレオンティーズは,ここが,一番の不安だったはずです。

 「寝とられ男に角が生える」という迷信は,他の劇でも劇のモティーフや劇の中心的な要素などになっていることがあります。興味深いのは,寝とられ男になる人を登場人物が嘲笑う一方で,嘲笑っている側の人物も,実は自分も寝とられ男になるのではないか,という不安があることです。不貞とは,「目に見える証拠(“ocular proof”)」ではないので,男性にとって,心理的にとても不安なはずです。そして,この不安は,劇の登場人物のみならず,当時観劇をしていた観客にも波及するでしょう。さらに,観客が登場人物に感情移入し――擬似的に――同化しようとすればするほど,その不安は大きくなることでしょう。このように,ただの迷信やジョークだと捉えられている事象が,実は登場人物の心理に大きく影響を与える場合があるのです。みなさんは,角の心配はございませんか。(Othello)