常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

シリーズ村上春樹その4

1Q84』が小説ジョージ・オーウェル1984(1949年)のタイトルのもじりなのは,発表されたときに気付きました。今回は,村上の独特の感性からいくつか考えた点を述べます。
The title of “1Q84” is a joke: an Orwell reference that hinges on a multilingual pun. (In Japanese, the number 9 is pronounced like the English letter Q.)I asked Murakami if he reread “1984” while writing “1Q84.” He said he did, and it was boring. (Not that this is necessarily bad; at one point I asked him why he liked baseball. “Because it’s boring,” he said.) “Most near-future fictions are boring,” he told me. “It’s always dark and always raining, and people are so unhappy. I like what Cormac McCarthy wrote, ‘The Road’ — it’s very well written. . . . But still it’s boring. It’s dark, and the people are eating people. . . . George Orwell’s ‘1984’ is near-future fiction, but this is near-past fiction,” he said of “1Q84.” “We are looking at the same year from the opposite side. If it’s near past, it’s not boring.”
何やら名言のようなことが最後に発せられています。さて,最初に示されているpunとは,いわゆる地口のことで,「しゃれのこと。同じ(似た)発音の言葉が,同時に複数の意味をなすもの」のことです。たとえば,“Now is the winter of our discontent made glorious summer by this sun of York”という文のsunにはsonという意味合いも含まれ,発言上は両方の意味に取れます。地口を用いることで,発話者の隠れた意図などが見えたり,作品や会話に深みや面白みを与えたりします。
この村上春樹の本当の意図を探すなんてことは,神学的過ぎますし,わかりませんが,われわれ読者は解釈によって価値を見出すことができます。これは,オーウェル1984をパロディにしていることは,村上春樹が自身で語っています。さらにオーウェルの小説の舞台が未来のできごとであるのに対し,『1Q84』の舞台は過去です。わたしは,Qがただの9を示しているだけではなく,昔を表す「旧」も表しているのではないか,と思いました。これを踏まえると,小説の舞台である“near-past fiction”というものが際立ち,1984との関係も明確になるように思われます。これにより,We are looking at the same year from the opposite side.という発言にさらに深みを与え,このコメントの意味が明確になると考えられます。別に英語には,なんら関係ありませんが,このような言葉遊びを吟味することは,言葉という大きな枠組みの中の楽しみでもあると思うのです。
最後に,余談ではありますが,先日Oxford English Dictionaryを引いていたら,名詞で1984がありました。もちろんオーウェルの作品から生まれた言葉で,意味は「プロパガンダと徹底的な監視が人々を支配する全体主義の社会。すなわちアリュージョンで,個人の自由は抑えられているか,支配されている社会のこと。」とありました。1984-ishという形容詞も載せられていました。1956年のTimesが最初の例として出ており,最近でもNew York Timesが同じ意味で使っていることが確認できました。(Othello)