常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

基礎体力,心の力

やや旧聞に属するが,5/31/10のNHK「ニューズ・ウォッチ9」中の「特集:どう教える 体の使い方」は非常に示唆に富む内容だった。番組は山梨大学の中村和彦准教授による調査(幼稚園年長園児のボール投げ方)の紹介からはじまった。ビデオ画面を通して,腕しか使わない園児。足をそろえたままで投げようとしたり,途中で投げ方がわからなくなってしまうなど,人にとっての基本的な動作ができなくなっている実態が伝えられた。
中村氏の調査によると,体全体を使って投げることができた者は全体のわずか3%で,これは25年前の「年少さんレベル」とのこと。明らかに体の使い方がわからない幼児が増えているのに衝撃を受けた人も多かったのではないか。原因として中村氏は,友達がするのを見てうまくなる,競争しながらうまくなるといった「経験の積み重ね」が明らかに少なくなっているからだと指摘していた。
次に番組は,いち早くこうした変化に気づいた豊中市立のぼとけ幼稚園の取り組みの紹介に移った。「5年前くらいから,ちょっと動いただけで,すぐに「疲れた!」と言う子どもが増加してきた」とは同幼稚園の先生。上靴にはきかえるだけで疲れて,その後の動作が止まってしまう子ども。「身をかわす」や「手をつく」などの簡単な動作がうまくできない子どもなど,実例が映像とともに紹介された。
こうした園児の増加への対策として,同幼稚園ではまず,大学の専門家を呼び,基本的な動作を覚えるための体操を取り入れることにした。同時に,日々の何でもない動作に少しばかりの「困難さ」を加えることにし,水道の蛇口を「上下レバー」ではなく握力が必要なひねるタイプ旧来型の「回転式」のものに戻した。園児が家庭から持ってくる水筒も「ひねるタイプ」に,また「帽子かけ」を「洗濯ばさみ」に換えたりもした。このような身の回りの基本動作の中に昔ながらの体の動きを取り戻すようにしたのである。さらには木登りを奨励したり,園内をぐるりと一周できる道に難所をとり入れたりもした。
こうした取り組みのためには保護者の理解が必要であるが,インタビューに答えた保護者は「木に登ってみたら高さの把握が自分でわかるし,危険だとわかっていても
あえて止めさせるのではなく自分でそれを感知していくようになった。」「最初はできなかった鉄棒のさかのぼりやなわとびもできるようになった。」などと好意的なコメントをしていたのが印象的であった。最初はできなかった園児たちが,日常生活を,そして環境を少しだけ見直すことで昔ながらの動作を取り戻せることを映像は伝えていた。危険だ,危ないと過保護にするのではなく,困難なことにあえて直面させることが,後々の生活の中でどんなに大切なことかをこの特集は物語っていたのである。
番組を観た後,なるほどと納得させられた。同時に今どきの子どもはいろいろな意味において守られ過ぎているとも感じた。過保護という言葉が適切かどうかはわからないが,なんでもかんでも安全な,苦労のない,便利な方向へと私達は子ども達を誘っていないか。ことは基礎体力だけの問題だけではないとも感じた。勉強に基礎体力のようなものがあるとするならば,それは英語の学習にも言えよう。少し指先を動かして,クリックすればあまたある情報がパソコンのスクリーンには展開される。昔だったら一発勝負で聞いたリスニングの一文も今は何度も何度も繰り返すことができる。速度だってお手の物である。どきどきしながら,英語のネイティブに向かって話さなくとも音声入力させすればあなたの発音は60点!のように音声認識ソフトが入ったコンピュータは判断してくれる。何度も何度も繰り返して,苦労しながら,そして泣きながらやらないと本当の英語は身に付かない。そんな学習にとって必要不可欠の困難さも今の子ども達は回避しがちである。安全な,利便な道を歩いていれば英語力はついてくるとさえ思っている。いや小さな頃からそのように育てられれば利便性は彼らの一部なのであろう。
基本的な体の使い方,そして心の使い方が今,どうかなっている。本当に力をつけるのは地についた,地べたを這い回って得る自分の体験の度合いとその深さであることを忘れていけまい。
cf. http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/recommen2010/index.cgi