常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

twopence

オスカー・ワイルドの最高傑作と呼ばれる『真面目が肝心』(The Importance of Being Ernest)から英語表現を拾います。
場面は第3幕。セシリーは,ジャックの説得によってブラックネル卿夫人から,アルジーの結婚相手として認められます。ブラックネル卿夫人は,セシリーの横顔から「社交界で成功する特徴が出ている」と評します。そこで,アルジーは,セシリーのことを次のようにブラックネル夫人に言います。
ALGERNON Cecily is the sweetest, dearest, prettiest girl in the whole world. And I don’t care twopence about social possibilities.
LADY BRACKNELL  Never speak disrespectfully of Society, Algernon. Only people who can’t get into it do that.
                                   (Act 3, 185-188)
さて,強調箇所のnot care twopenceとは,なんのことでしょうか。まず,twopenceとは,「2ペンス貨」のことです。ここから転じて「取るに足らぬもの[こと],わずか」などの意味があるようです(『リーダーズ英和辞典』研究社)。さらに,ここから派生した表現としてnot care twopenceで「少しも気にしない」がありました。また,careは,giveと書き換えが可能なようです。
以上を踏まえると,ここでは「セシリーは,世界中で,一番かわいくて,愛くるしくて,美しい人です!社交界で成功しようが,私は,そんなことはびた一文関係ないんです。」などと訳せます。続く,ブラックネル卿夫人の台詞では,「社交界の悪口なんて言うのはよしなさい,アルジャノン。そんなことを言うのは,社交界に入れないような人間だけですもの。」と,社交界の悪口を言うアルジーを批判しています。
ここで面白いのは,アルジー社交界について悪くいうと,すかさずブラックネル卿夫人が――社交界に入ることができないミドル・クラスを批判しつつ――アルジーに反発することです。あくまで,わたしの感じたことですが,実はこれはオスカー・ワイルド自身の意見なのかな,と思うのです。なぜワイルドの意見なのか,という理由は,いくつかありますが,わかりやすいものをひとつ述べたいと思います。
オスカー・ワイルドは,アイルランド出身でミドル・クラスでしたが,自らの階級を否定し,アッパー・クラスに加わった人物で,精神的には非ミドル・クラスとされています。さらに,彼は耽美主義を作品に取り込み,彼の作品はアッパー・クラスの流行の一端を担っていたとされています。耽美主義は,その性質上,それが作り出した芸術を理解できないものを批判するものでもありました。アッパー・クラスの人間しか理解することができないものを作り出すことで,それ以外の階級に属するものとアッパー・クラスとの差別化を図るのです。
ここで確認したいのは,2つの意味合いでミドル・クラスが批判されていることです。まず,引用箇所では,社交界に行くことができない人々(=ミドル・クラス)を批判しています。2つめに,上記のようにワイルドはイングランドにおける他者であり,実際にはミドル・クラスですが,耽美主義の中心人物で,アッパー・クラスにおける流行の最先端を行く人物でしたから,彼が自身のミドル・クラスらしさを否定するように,ミドル・クラスを批判しているのです。
少し,最後は少し批評のようになってしまいましたが,われわれがニュースを吟味し,真実を探るように,戯曲や小説でもコンテクストや台詞,背景など様々な要因について考えることは重要だと思います。(Othello
(参考)ヴィクトリア朝の階級については,新井潤美,『階級にとりつかれた人々――英国ミドル・クラスの生活と意見』,(2001年,中央公論新社)をご参照ください。内容も素晴らしいのですが,文章の構成など非常に参考になります。