常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

卒業予定者より

3月上旬の約10日間,ウィーン,プラハへの教育実習に参加させていただきました。ウィーンにあるシュタイナー学園,テレジア学園,ギムナジウム,の現地校3校に加え,ウィーン日本人学校プラハ日本人学校に訪問し,教育体制や言語教育に関してのお話をしていただきました。さらに日本人学校以外では日本の文化を英語で紹介する授業をさせていただきました。事前準備として各学校についての予習や授業準備をして行ったとはいえ,まさに百聞は一見にしかず,実際に自分の目で見てあの場の空気を感じ,授業した経験は何よりも勝る財産となりました。
 ウィーンの生徒が通っている現地校,私立学校であるシュタイナー,テレジア学園,はそれぞれ特徴的な教育を行っている学校で,生徒の様子もがらりと変わります。公立の学校にあたるギムナジウムも合わせた3校で,それぞれの学校の様子や課題,どのような言語教育を行っているのか,についてお聴きしました。今回は言語教育,とりわけ「英語」に絞ってまとめます。学校によってかなり特徴的ではありますが,どの学校の生徒も日本の生徒と比較して圧倒的に英語が話せていました。
 この理由として,現地校の先生が仰っていた言葉をお借りしますと,ゲルマン語を起源にもつ英語とドイツ語がとても似ているということが挙げられます。私も大学でドイツ語を履修していましたので,よく意味が分かりました。今回訪問した3校はドイツ語を第一言語とするウィーンにあります。また,生徒たちはテレビ,インターネット,映画,音楽などから英語を耳にする機会が非常に多いということも理由に挙げられていました。これは日本でも同じであるように思いますが,日本の生徒は簡単に情報を得られる環境に居るだけで,本当に海外の文化に興味を持っている生徒はあまり多くはないように思います。さらに,生徒は間違いを恐れて発言しないということはあまりありません。中学生程度の年齢でも自ら進んで英語で発言し,友人と単語を聞きあうこともしています。全員が英語を話すという環境が自然にできあがりますし,先生も英語しか話しません。なお,今回は高校生の授業を拝見することはできませんでしたが,お聴きしたところ社会問題や環境問題,刑事事件,などニュースで取り上げられるような内容について事前にReadingの課題をこなして議論をしたり,自分の意見を数千語にまとめたりしているようです。

 言語教育で英語についてテレジア学園の先生のお話で非常に印象に残った言葉があります。
“English is not a language anymore.”
「英語」というのはもはや言語教育と名乗るほどのものではないのです。英語はもはや話せて当たり前だと仰っていました。この発言に衝撃を受けましたが,テレジア学園は全寮制の超進学校であり,「英語は話せて当たり前」という現状はこの学校に限ったことではないか,とも感じました。しかし,その後ギムナジウムの先生のお話を聞いて,「英語は話せて当たり前」という意識はエリート層のみに関するものではないことが分かりました。ギムナジウムは一般的な公立の学校で10歳から英語を学びます。先生は生徒たちに「英語を勉強しろ」とは決して言わないそうです。生徒たちは英語ができて当たり前だということを重々承知しているし,英語ができないと大学はおろか就職すらできないということも分かっている,そして親もよく分かっている,と仰っていました。
 ヨーロッパという地域,似ている言語,様々な要因が働いている結果としての「英語が話せて当たり前」であることは分かりますが,これらを踏まえて日本に着目したときに,世界という舞台では「日本は島国で言語も全く異なるから英語が話せなくても仕方がない」ということにはなりません。寧ろ英語が話せなければ職が得られないような国の人々と仕事をする社会ということを深く認識し,積極的に他国に目を向けなければならないと強く実感しました。こういった意識を生徒に持たせることができるのか否かも教員の仕事であるように感じます。

今回の実習を通して本当に様々なことを学べました。現地校や日本人学校で真面目にお話しを聴いたことからは勿論,多くの人との出会いを通して様々な価値観に触れ,自分自身を顧みる機会ともなりました。今回お世話になった先生方,先輩方,学部生のみなさん全員に感謝致します。(Inaho)