ゼミで学んだこと #15
私が、UGゼミで身につけた能力・知識は三つある。それらは、単語力、勉強に対する意欲、そして授業力である。今まで、自分に単語力が圧倒的に足りていないとわかってはいたものの、行動には移せずにいた。しかし、このゼミでは、かなりの量の単語が宿題として出され、やってきて当たり前という雰囲気があった。この強制感の強い環境に身を置くことができ、単語の勉強を毎日続けることができた。初めは、テストのために勉強をする、という意識でやっていた単語であるが、覚えていくに連れて、意識の変化があった。英語雑誌などを読んでいる時に出てきた、難しい単語の意味が理解できたことに喜びを感じ、知らない単語をなくしてやりたい、という意識に変わっていった。思えば、私がアメリカに住んでいた時、英語が大嫌いであった私を英語好きにさせたのは、自分が話していることが「通じた」という喜びがきっかけであった。できるようになる、という実感を得ることが、勉強意欲を促進していった。以前、授業で「覚醒する時がくる。」と先生がおっしゃっていた。私も、覚醒とまではいかないものの、その感覚は理解できるような気がする。
Micro teachingでは、英語力があるだけでは良い授業はできないと痛感させられた。自分では、しっかり授業計画をたてて準備していったつもりでも、ゼミのメンバーや先生の指摘を聞くと、足りない要素が多すぎることにショックを受けた。例えば、私がmicro teachingを行った際、黒板の前からほとんど動かずにいた。しかし、先生が教室を巡視し、生徒の状況を確認するほうが良いという指摘をいただいたとき、何故気が付かなかったのか、悔しさを覚えた。黒板の前に立っている先生に質問するよりも、徘徊している途中で近くに来た時のほうが、生徒にとって話しかけ易い。自分が生徒であれば気がついたはずのことが見えていなかったため、まだまだ立場を変えて考えることができていないなと感じた。Micro teachingを通して教わった授業のノウハウは、UG先生が培ってきたものが詰まっていて、とても貴重な経験であった。
英語教師の課題は、生徒をいかに「英語好きにさせられるか」である。英語が好きにさえなれれば、後は自発的に勉強できるからである。しかし、私の高校時代を振り返る限り、今の日本の英語教育では、英語を好きになるどころか、苦手意識を持ってしまう可能性がある。それは、ルールに縛られ、自由な表現や多少の文法ミスも許されない環境だからである。少しでも間違えば、すぐに正しく訂正されてしまう。そういった状況の中で、ただでさえ人前で発言するのが苦手であると言われる日本人は、ますますミスに怯えてしまう。さらに、私の高校では、英語教師が英語をほとんど話していなかった。先生が英語を話さずに、生徒が話せるようになるわけがない。これが、日本人が英語を六年間学習しても、英語を話せるようにならない大きな原因の一つである。私は、日本の英語教育を変えたいという想いから、英語教師を目指すことにした。アメリカにいた経験があったからこそ、日本の英語教育の悪い点をはっきり見ることができた。そして、アメリカで身につけた英語力、発音を武器に、英語の楽しさを伝えたいと思ったからである。
アメリカで自分の言葉が通じた時の気持ちを、UGゼミで改めて感じることができた。私が教師になれた暁には、この想いを胸に、生徒に「わかる」、「話せる」喜びを感じさせる環境作りをしていきたい。(Warehouse Built)