常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

本のしわと英語のしわ

1年前に大学のLL研究室のサイトに寄稿したものの原文です。このところ、ペーパー1冊/1週間の原則が守られない自分への戒めです。ちなみに今は論文を4本抱えています...これも言い訳か...。(UG)
http://d.hatena.ne.jp/A30/20110522/1306052643
                       

 多摩近郊にある「ブックオフ」に定期的に足を運んでいる。ここの良さはペーパーバックのコーナーがあることである。
コーナーの棚に鎮座する本の背表紙を見るだけで,元の持ち主が日本人だったのか,外国人だったのかが即座にわかる。外国人(おそらくは母語読者)が供出した本には幾十にも「縦じわ」が入っているからである。そんな本は背表紙の方もずいぶんとくたびれたものが多い。ぐっと押さえつけて,読み込んだからだろう。
 こうした「しわ」の働きに気づいたのは,今をさかのぼることウン十年前,高校で働いていたときだった。わが師匠は日本人ながら「しわ読み」の名人だった。彼の読書には独特のスタイルがあった。親指で頁の片隅を何度もめくるようにされるから,「かさかさ」と音がする。そして「かさかさ」とともに,ものすごいスピードで文に目を走らせる。やがて一定のまとまりを読むと,背表紙が反発してくるので、ぐっと本を押し開かれる。それで背がしわが入るのだ。
 1週間に1冊のペースだったろうか。いや、もっとだったのかもしれない。ペーパーバックは英語だけに限らず,各国語にわたっていた。フランス語、ドイツ語,ギリシア語、イタリア語、スペイン語,スエーデン語,etc…。どこから調達されてくるのか,数え切れないほどの言語のオンパレードだった。
 こうして読んだ用済みになった本のうち、英語とドイツ語のものは「あんた、読むかね?」と言いながらポンと手渡された。職員室の隣の席にそんな人がすわっていたのは今考えると奇跡のようなものだった。師匠は英語非母語読(話)者だが,母語読(話)者を上回る英語力を身につけておられた。そして彼の英語は,すなわち本のしわだった。
 英語力を維持し,さらにそれに磨きをかけるのには絶え間ないinputが必要である。思えば読書は日本という「外国語としての英語」(EFL)環境において、もってこいの手段なのである。思えば、師匠のしわ読みは大学を出たばっかりなのに「先生」と崇められ,いつの間にか,英語力を維持するための最良の手段であるはずの読書からも離れた新任教員への警鐘だったのかもしれない。
 エラそうにこう書きながらもひとつだけはっきりしているのは、今のわたしの英語のしわは師匠の十万分の一、いや、百万分の一にも及ばないということである。だからこそ、大学で禄をはむ身の上であろうとも、しわをつけることは止められない。寄る年波に気づきながらも、1週間に1度の本屋巡りと、1週間に1冊の英語ペーパーバックをあげること。それだけは守りたい。あの人には死ぬまで追いつけないとわかっていても。