常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

sˈəʊl

わたしは,王政復古演劇をご専門としてらっしゃる先輩と読書会をやっています。最近は、研究の合間に『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar, 1599-1600?) を読んでいて、先日は第1幕第1場を読みました。今日はそこから少しウィットに富んだ英語表現を拾いたいと思います。
MARULLUS
You, sir, what trade are you?
COBBLER   Truly, sir, in respect of a fine workman, I am but,
as you would say, a cobbler.
MARULLUS
But what trade art thou? answer me directly.
COBBLER   A trade, sir, that, I hope, I may use with a safe
conscience; which is, indeed, sir, a mender of bad soles.
MARULLUS
What trade, thou knave? thou naughty knave, what trade?
COBBLER   Nay, I beseech you, sir, be not out with me: yet,if you be out, sir, I can mend you.
MARULLUS
What meanest thou by that? mend me, thou saucy fellow!
(1.1 .9-19.)
まず,劇の説明です。(傍白 みなさん世界史を思い出してください!)舞台は紀元前1世紀,共和政末期のローマ。この物語は,その皇帝になろうと野心を抱くシーザーと,共和政を維持しようとするブルータスの対立を主軸とした劇です(詳しいあらすじはwikipediaなどをご参照ください)。この場面では,平日にもかかわらず仕事をしていない平民に対し,護民官のフラーヴィアスとマララスが理由を聞いている場面です。
マララスは靴直し(Cobbler)に対して,仕事は何かと聞きます。そこで靴直しは自分の仕事を正直に言うのですが,なぜかマララスは怒ってしまいます。どうしてマララスはこんなにも怒ってしまうのでしょうか。それは,マララスは靴直しの言っていることを,どうも取り違えているからなのです。それでは,該当する箇所をみてみましょう。
靴直しの言う “a cobbler”とは、文字通り「靴直し」の意味です。しかし,マララスは靴直しの言った意味が伝わらず,怒ってしまいます。それは,マララスは,“cobbler”を「不器用な人、へたな仕事をする人」という意味でとってしまうからです。ここに最初の意味上のギャップがあります。
続いてもう一度,仕事は何かと問われた靴直しは,自分の仕事を“a mender of bad soles (靴の底を修理する人)”と詳しく説明しますが,マララスは“What trade, thou knave?(何の仕事かと聞いているんだ,この野郎)”と怒ってしまいます。ここでマララスは 靴底の意味での“sole”を,soleとほぼ同じ発音である“soul (生気)”だと捉えてしまうのです。ここでも,マララスは靴直しの言っていることを取り違えてしまうのです。これが,2つ目のギャップです。
そして靴直しが何の仕事をしているかについて,さらに説明を加えますが,やはりマララスは怒ってしまいます。その時の靴直しは “Nay, I
beseech you, sir, be not out with me: yet,/ if you be out, sir, I can mend you.(いえいえ,誓って申し上げますが,わたしを怒らないでください。/ ただもしあなたの底が壊れたら直しますよ。)”と言います。ちゃんと説明しているにもかかわらずマララスはさらに激怒してしまいます。なぜ激怒したのかというと、靴直しは、「ものが正常に機能しない」という意味で“out of~”という表現を,1度目は“out of temper(かんしゃくを起こす)”という意味で,2度目は“out of heels(かかとから靴底がとれる)”という意味で使っています。しかしマララスは,そのどちらも “out of temper”という意味で捉えているため,激怒してしまうのです。ここで,さきほど言及した“sole”と“soul”の例でみたような,両者の意味の取り違いが,違う言葉で再び現れるのです。
この場面のやりとりで観客は,おそらく笑うことでしょう。劇の冒頭ですしこの箇所が一種の〈ツカミ〉になっているのだと考えられます。さらに,護民官が平民に揶揄されているようにみえることもポイントでしょう。また,“out of temper”という意味では,当時の人々は,人間のからだに流れる体液が“temper(気質)”を決める,ということを信じていたことを踏まえると興味深く思えます(これについては中野春夫先生の『恋のメランコリー——シェイクスピア喜劇世界のシミュレーション』(研究社,2008年)をご参照ください)。
今回のような音が変換可能な例は,シェイクスピアの劇や現代の劇や小説でもたびたび登場します。また,ここでは触れませんでしたが,だれがブランク・ヴァースでしゃべっていて,だれが散文で話しているのか,などを見てみることも,芝居を読むうえでとても重要だと思います。そして劇内の人物関係や,台詞を言ったあとの登場人物の物理・心理的な反応,さらには観客の反応などを読み取ることで,芝居を読むことをより楽しくさせると思います。夏の読書として,芝居を読んでみるのもいかがでしょうか。(Othello)