常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

彼は走る 

 洗車に興じていたら彼がきた。うちの前はなだらかな坂になっていて、彼のようなアスリートにはここち良いコースなのかもしれない。「はぁ、はぁ」と息を切らしながら、あっという間にホースの先を駆け抜けていった。
 彼の名前を知らぬ人は少ないだろう。高校時代には甲子園で大活躍し、卒業後は早稲田に入りながらも、それをドタキャンしてプロの道に進んだ。その後は巨人軍のエースとして大活躍し、最後は大リーグを経験した人である。その間、一時は「投げる不動産屋」とも揶揄され、人生の辛苦をなめた。最近では早稲田の一年生修士で長年の学歴コンプレックスを跳ね返す修士号を取得し、スポーツ評論家として再びマスコミに登場した人でもある。
 いろいろといわれている人だが、「走る」という一点において、わたしは彼を尊敬する。「走るということ」はスポーツの基本である。およそスポーツから走りという名の筋肉運動を奪い取ったら何が残るのだろうか。いや奪い取ることなど、特殊な例を除いてあるまい。
 ひるがえって英語。「英語における走り」とは何だろうか。音読、ひとりごと、英字新聞読み、リスニング、etc...走りに相当するものがいろいろと浮かぶ。しかし、それを彼のように毎日のように繰り返している人はどれほどいるのか。
 英語が大好き。話せるようになりたい。英語を使った仕事につきたい。思いはそれぞれあろう。しかしながら、走るという行為を習慣から、おそらくはそれをしないと体がおかしいと感じる、走れないとうずうずしてくる、というところまで高めた高めた人は多くはない。「英語の走り」をそこまでもっていけた人は何人いるか。基本のキを自動化のレベルまでもっていけた人にだけに英語の神様はほほえむのに。
 走り去る彼の姿を目で追いながら、あの人はまちがいなくそこへ行った人だと確信した。アスリートの世界で。(UG)