常時英心:言葉の森から 1.0

約10年間,はてなダイアリーで英語表現の落穂拾いを行ってきました。現在はAmeba Blogに2.0を開設し,継続中です。こちらはしばらくアーカイブとして維持します。

stray sheep

田邉先生が担当されている授業の小テストでstrayという単語が出てきました。
先生はstrayといえば欧米人はstray sheepという言葉を想起させ,あの夏目漱石の『三四郎』にも登場することを教えてくださいました。
気になったので帰宅後,実際に『三四郎』を本棚から引っ張り出してページをめくってみました。すると確かにいくつかstray sheepが使われている箇所がありました。以下は夏目漱石三四郎』(新潮文庫)からの引用です。
かつて美穪子と一所に秋の空を見た事もあった。所は広田先生の二階であった。田端の小川の縁に坐った事もあった。その時も一人ではなかった。迷羊(ストレイシープ)。迷羊(ストレイシープ)。雲が羊の形をしている。…(p. 279)
ヘリオトロープ」と女が静かに云った。三四郎は思わず顔を後へ引いた。ヘリオトロープの罎(ビン)。四丁目の夕暮。迷羊(ストレイシープ)。迷羊(ストレイシープ)。空には高い日が明かに懸る。…(p. 280)
野々宮さんは,招待状を引き千切って床の上に棄てた。やがて先生と共に外の画の評に取り掛かる。与次郎だけが三四郎の傍へ来た。
「どうだ森の女は」
「森の女と云う題は悪い」
「じゃ,何とすれば好いんだ」
三四郎は何とも答えなかった。ただ口の中で迷羊(ストレイシープ),迷羊(ストレイシープ)と繰返した。(p.284)
stray sheepを辞書で調べてみると「迷えるヒツジ;正道からはずれた人」と出ていました(『ジーニアス英和辞典』第4版,大修館書店)。これは聖書のイザヤ書にある言葉だそうです。
また,手元にある『新約聖書』(日本国際ギデオン教会)には,マタイ伝(MATTHEW18)に以下のような部分がありました(ちなみに私は仏教徒なのですが...)。
12 “What do you think? If a man has a hundred sheep, and one of them goes astray, does he not leave the ninety-nine and go to the mountains to seek the one that is straying?

13 “And if he should find it, assuredly, I say to you, he rejoices more over that sheep than over the ninety-nine that did not go astray. (p.54)

夏目漱石を始め英学時代の偉人は聖書の事柄にも精通していたことがよくわかりました。strayという一語から広がる言葉の世界の広がりを感じました。(ゼミ生 camel)